1.小鳥の囀りから曲ははじまり
※EDのその後の話です。












『行方不明だったファブレ子爵のご子息が帰ってきた』
その知らせは、一日のうちにバチカル中を駆け巡り、やがては全世界へと広まることとなった。
勿論、言葉は乱暴だがその中身について知る者は少ない。
生物に対する完全なフォミクリー技術が再び封印され、
散らばった多くのレプリカ達も自我を持ちそれぞれの生活を営んでいる今となっては、民の関心は事実だけに集中した。
噂の出所となるのは今も尚流通拠点として両国の行き来が盛んなケセドニアだ。

帰ってきた"ルーク"と別れ、かつての仲間は再び自分の日常へと戻っていく頃。
ガイはそんなケセドニアの地に立っていた。




***

紺碧の空には太陽が爛々と輝き、砂埃が鬱陶しく肌にまとわりつく。
気温気候共に落ち着き快適なグランコクマの生活に慣れてしまうと、
こうして時々駆り出される雑用でとても苦労することになる。
休暇が出来れば同じく乾燥した地域にあるシェリダンへも遠出するのだが、多忙なガイにとってはいささか無理な話だ。
残念ながら、世界の混乱が収まったとは到底言える状況ではない。

「しかし、暑いな…」

ガイは見上げた空の眩しすぎる日光に思わず目を細め、道行く人々に視線を移す。
ターバンを被った放浪する商人にとっては通常のケセドニアであることは間違いない。
暑さは耐える。何より、用事は昼間のうちに終わらせておく方が得策だろう。
アスターの屋敷に顔を出し、贔屓の行商から所定のものを受け取れば用事も九割方終わったに等しい。
残りの一割は皇帝に仕える者としての情報収集であり、そういった意味でもこの地は便利な場所ではあった。

もう幾度となく利用した宿屋の主人とは顔馴染みになっている。
本来ならば満室であるそうだが、なんとか一人用の部屋を融通してもらった。

皇帝が信頼を置いている者で、一般人に見え尚かつ自由の利く人間となるとガイしかいない。
女性に近づきさえしなければ(とはいえ治りかけなのだが)人とのコミュニケーション能力も高い。
皇帝陛下の信頼を得ている、といえば聞こえはいいが遠慮もない、というのが事実である。
そんな訳で、ガイは夜の酒場に立ち寄っている。
度数の低いカクテルをほろ酔い程度に飲む。自然に楽しむついでであれば良いとピオニーからも言われている。
カウンター席の隣の二人の話に悪いと思いつつ耳を傾ける。

「ルーク様が見つかったそうだな」
「ルーク様…ああ、キムラスカの。行方不明って言ってたけどいろいろあったんだろうな。…もちろんあのナタリア姫と結婚するんだよな、近いうちに」
「それがそうもいかないらしい。次期王には別の想い人がいるって噂もあったりなかったり…」
「マジで?じゃあナタリア姫はどうするんだろうな」
「さあ?そのうち上が無理矢理にでも結婚させるかもしれないがな……まあ、バチカルの住人が許さないか」
「一種の宗教みたいだ」
「まあナタリア姫がスゴイんだろ、それは」
「お前も宗教か?」
「ちげーよ。結婚相手となると、マルクトの陛下もどうするつもりなんだか」
「二人が結婚しちまえばいいんじゃね?」

それは、インゴベルト陛下が許さないだろうとガイは思わず苦笑する。
ルーク。
内部事情を知らない民達からするとかなり怪しい存在ではある。
本人もそれを自覚しており、今はバチカルの中で記憶を整理しつつ過ごしているらしい。
ガイはまた、琥珀色のカクテルを一口煽ると、少しばかりふやけた思考回路を巡らせる。
"彼"は身体はほとんどアッシュのものらしい。
ただ、魂や心という―――業というべきものか――はルークである、とジェイドは断言した。
実際、受け答えは非常に素直な態度で応じている。
コーヒーにミルクを混ぜたら元には戻せないように、ルークという人物はもう一人しかいない。
もしかしたら、出来上がったミルクコーヒーに一番混乱しているのはかつての仲間たちなのかもしれない。

ガイ自身も――アッシュもルークも――幼馴染みであることに変わりはない。
一番整理がつかなくなっているのは、やはりあの二人なのかもしれなかった。

「なあ兄ちゃん」
「は?」

いきなり話しかけられて思わず問い返す。

「ナタリア姫とピオニー陛下が結婚したらって話、どう思う?」

―――無理でしょう。
根拠を明かせない言葉を寸前で飲み込む。

「相手にその気がなければ無いだろう」

―――相手にその気がない。
冷や汗がじわりと浮かぶ。

「ま、それもそうか」

ガイは再び話へと戻った客を一瞥して胸を撫で下ろす。
ナタリア。結婚。
ガイを動揺させるには十分すぎる単語だった。




***


「お加減はいかがですの?」

ナタリアはファブレ邸に入るなり今まさに出ようとしていたルークにそう言った。

「ナタリア。今からそっちに行こうと思っていたところだ」
「そういう話をお聞きしたのでこちらに来ました。わざわざ手を煩わせるわけにもいきませんし」
「ああ…」

こちらへどうぞ、と近くにいたメイドに椅子を引かれ座った。
改めてナタリアは目の前の―――ルークをそっと見つめた。
彼がこの世界のどこかから帰還した直後、ジェイドから大方の説明は聞いた。
間違いなく大爆発が起こったこと。その器はアッシュだが、心はほぼルークに近いらしいこと。
記憶については再構成されている、らしい。
ひとしきりジェイドは話したあと、その眼差しはいっそう複雑なものになり視線は宙を彷徨った。
誰もが感じる違和感。
もっとも、ナタリアにとっては違和感よりも激しい食い違いが生じていた。
見慣れたファブレ邸の赤いカーペットを見ても心は落ち着かなかった。

「それで、ルーク」
「こっちから話してもいいか?」
「どうぞ」

「あの約束のことだけど」
「…ええ」
「しっかり記憶にはあるんだ。―――一緒に国を変えようっていう」

ナタリアは閉じかけた目蓋を見開いた。
しかし思考の奥底を辿れば、彼の記憶はアッシュのものでもある。
至極当然のことであり、言葉に詰まったナタリアにルークは続ける。

「でも」
「今のナタリアがどう考えているのかが俺にはわからないから」

彼は半ば独りごちるようにすると、ゆっくりと俯く。
その燃えるような赤い髪の毛は長いとも短いとも言えないような長さで落ち着いている。
意図的にかは、わからないが。
ティースプーンが皿の上に金属の高い音を響かせながら落ちた。
ナタリアは唾を飲んでそれから意を決したように顔を上げる。

「私は―――こういう言い方をしていいのか分かりませんが―――貴方も、もう一人の貴方のことも大好きでした。でも今私の中には貴方にどう接していいのかわからない自分がいるのです。たぶん、混乱しているのだと思います。ですが」
「私は貴方の幸福を一番に願っていますわ。だから貴方の――ルークが、後悔しないような選択をしてもらいたいのです」

ルークはただ視線をナタリアに合わせてそうか、とだけ言った。

「許嫁の件は、破棄してもらって結構です」

はっきりと口から出た言葉に、ナタリア自身が一番驚いた。
あれだけルークが自分のことを忘れてしまってもしがみついていたものを、今自分は簡単に手放してしまった。
もちろん"彼"のことは好きだ。ナタリアが何よりも愛する国民のためにならないのもわかっている。
けれど彼と彼女を縛るものはやがては深い悲しみを生む、気がするのだ。
ナタリアは王家の血を引く者ではない。
預言に詠まれていなければ王女ではなかった存在である。
どれほどの悲劇が起こってきたことだろう。
自分ですくい取っていないものを無理矢理選ばされ、運命は決まってしまった。
もちろん、未来はわかっている方が不安を感じることはない。
でも、結局のところ完全にわかっていた者などユリアしかいない。
預言に囚われない世界の選択を、王家が率先してするべきだ。
ナタリアは掻い摘んで説明した。

「―――本気か?」
「お父様とも話し合いました。でも、私はここで……上手く言葉に言い表せないけれど、何かと決別しないといけないと思うのです。その上で―――」
「いや、貴方の心の中には、もう別の人がいるのでしょう?」

ナタリアは顔に諦めたような微笑みを貼り付ける。
今すぐにでも泣き出したいような気持ちを必死に抑え付けるとまだ湯気を放っている紅茶を一口飲んだ。
見慣れたテーブルクロスの白さが目にありありと焼き付く。
時計の音だけが周りを支配する。メイドたちも気を配ってか辺りに姿は見えない。
今度はルークがその言葉に目を疑っていた。

「でも、ティアは……」
「何をそんなに迷っていますの。記憶がどうであれ、好きなものは好きなのでしょう?しっかりなさい」
「ナタリア」
「何ですの」
「ありがとう」

幼馴染みとして、当然ですわとおどけて言い返すとルークは優しく笑った。




*****


そうしてナタリアの結婚の話を考えているうちに、船に乗り込み、いつの間にかグランコクマの港へ降り立っていた。
どこまでも蒼い町並みはバチカルのそれとは全く違う。
ときどき、遠いところに来てしまったと哀愁に駆られるのは何故だろう―――ガイはそこに郷愁のようなものを感じていた。
元々は故郷であるはずの国に完全に染まるまではまだ時間があるのかもしれない。

宮殿に入り謁見の申し入れをすると、待ってましたとばかりにピオニーは階段で仁王立ちしていた。
二人は両国の貿易は滞りなく進んではいるが、人口増加により物価がじわじわと上がってきていることやその他諸々を話しながら、買ってきた約束の"ブウサギの餌"を渡すとピオニーは私室に持って行かせたようだった。
街で耳にした噂もそれほど深刻にならず、軽い口調で伝えている。
だがその機微に気付かない程度の観察眼で、マルクトの皇帝が務まる筈がない。

ピオニーは珍しく表情を崩さないまま黙考すると、やがて唐突に宣言した。


「お前に休暇を与える」
「…いいんですか?この大変なときに。陛下も休んでおられない」
「大変なとき大変なときって言って、お前も全然休んでない、ガイ。―――それにあの日から会ってないだろう」
「ルークですか」
「キムラスカ王女もな。というわけで、いつでもいいのでバチカルへ行くこと。俺もさっさとルークに会いたいという旨を伝えてくれ」
「……わかりました。有り難く頂戴します」
「―――ナタリア姫は」

腰に手を当てたままのピオニーは逡巡した後、やがて思い直し口を濁した。



「…いや、なんでもない」
「ナタリア姫が、どうかなさいましたか」
「後悔しない選択をしろ。それだけだ」

彼が何を伝えようとしているのか。
わからない。否、現実を理解していない振りをしていたい。
―――感情に蓋をすることに一層慣れてしまった今、
気付きたくない事実から目を逸らしたままの自分が存在していることにガイは気がついていた。
ピオニーはそれから一度も振り返らずに謁見の間から去っていった。

預言は無い今、自由が利かない身分の者でも独りで選択して恋愛が出来る。
もう二十年、いや十五年早かったなら。
皇帝は過去に縛られずに愛する人と幸福を掴んでいた。
預言に頼らない道はどこまでも広がる自由がある。
そう、いつかの将軍は、預言からの解放を自覚しながら、彼女と歩む世界を惜しみながら命を落とした。
けれど―――。

ガイは自身の手を見つめる。
ほんの数年前まで彼女に触れることは疎か近づくことさえ出来なかったものを、彼は握りしめる。
跪いていた身体を立ち上がらせる。

―――まずは気晴らしにシェリダンにでも行く、か。

軽い足取りで分厚い扉を開け、宮殿を後にした。








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