うだるような暑さの中、買い出しの途中。
ただでさえ人通りの多いザーフィアス街の大通りはは人々から熱が出ているのではないかと訝しむほどに湿気ており、あまり居心地の良いものではなかった。

だいたい、この気温で外に出るのはあのおっさんくらいだろうに。
ユーリは内心悪態をつきながら、戦場となっている人混みをかき分けていく。
当のレイヴンは宿で呑気に昼寝しているから余計に腹が立つ。
苛立ちを覚えたユーリの顔に不機嫌さが表れないのは、傍らのエステルの存在があるからだった。

"はぐれないように"という口実を作って繋いだ手は長い道を抜けたあとでも繋がれたまま、少し熱を帯びていた。
解かなければならないのは頭の中では承知で。けれど、手を離すのも名残惜しい。
ガキか、オレは。
冷静でいられない思考を暑さのせいにして、ユーリはそっと掌を開いた。

ふとユーリはエステルの方に首を向けると、彼女は場にそぐわぬ―――笑顔。

「休憩にしませんか?」

下町でも評判のシフォンケーキが美味しいというカフェ。
まだ午前中であるためか人も少なく入りやすそうなことを確認すると、ユーリは小さく頷いた。
風通しの良い窓際の席に向かい合わせに座る。
外からはちょうど死角になっているので万が一知り合いが歩いていたとしても気付かれる心配はない。
正面に行儀良く座ったエステルはそんなことは微塵も考えてはいないようで、
早速メニューを取り出しユーリに渡す。

「シフォンケーキが美味しいらしいですけど…結構種類あるんですね」
「別のを頼んだ方が効率的だな」
「はい!どうしましょう…オレンジかプレーンで迷ってるんですが…あっでも紅茶もいいですね。ユーリは決めたんです?」
「オレは普通の奴でいい。一番上に書いてあるしな」

店に入りづらいユーリにとっては最初で最後の来店となるかもしれない。
そう思えば、自然と看板メニューに心が向くものだ。
エステルは時々首を傾げながらあれでもない、これでもないと選んでいるようだった。
その姿はやけに真剣でユーリは思わず頬が緩む。
彼女の周りを忘れるくらい夢中になるところが自分には無くて、可愛いという言葉はそっと心に仕舞っておくけれど。

「ではわたしはこれにします!」

そう言って指をさしたのはかねてから迷っていたオレンジのシフォンケーキだった。
飲み物は揃ってアイスティーを頼むと、そう待たないうちに運ばれてきた。

スプーンでつつくと柔らかい感触が伝わってくる、
所謂ふわふわの生地にこれまたふわふわの生クリームを少しのせる。
口に運ぶとまず浮かぶのは幸福感で、思わず目を閉じるとエステルのおいしいという声が聞こえてくる。
甘過ぎないクリームと生地が絶妙に混じり合って、口当たりも軽いので―――気がついたら無くなっていそうなものだった。
ちょっともらっていいです?という声を聞きたくないと思いつつ、そういう訳にもいかないので
少しもらっていいか、とユーリが聞くとエステルも名残惜しそうな顔をした。
互いにケーキを分け合いつつ他愛のない話をしているうちに、話題はエステルの今読んでいる本の話になった。
本を読むのは苦手だが、彼女がこうして目を輝かせながら本の内容について熱弁するのは、見ていて飽きない。
今日も例の通りに聞いているだけのはずが、質問を投げかけられる。

「好きの違いって、なんだと思います?」
「んーと、わかりやすく説明してくれ」
「好きにも色々ありますよね、親子の好き、友情としての好き、恋からくる、好き」

彼女の最後の躊躇いがユーリを少し動揺させる。

「なるほどな。エステルはどう思うんだ?」
「だいたい議論されるのは友情と恋…ですけど、恋愛というものが単なる知識でしかないわたしにとってはうまく理解しづらくて…」
「お姫様は興味津々だと」
「むぅ…そういう言い方はないと思いますよ。特に恋愛は繊細なものだと…聞いていますし。ちょっと気になるだけです」

彼女はそう言って顔を赤く染めて下を向く。
その表情まで見てしまいたいという想いがエステルの言う恋なのだろうが―――
ユーリは頭の中で慎重に言葉を選ぶ。

「オレも上手く説明できる自信ねぇけど、っつかその辺りはジュディスに聞いた方がいい気がするが―――まあ、あれだ、それはいいとして」
「…はい」
「友情と一口に言っても色々あるだろ。例えばエステルがリタに向ける友情と、パティに向ける友情は違うだろ?それと同じように恋愛にも複雑な事情ってのがあると思うが。まあ、一言で言うと」
「一言で言うと?」
「相手を自分のものにしてぇって思った瞬間が恋愛としての好きに変わった瞬間なんだろうな。独占したいとか、そういう」

エステルは顎に指を添えて少し考え込むと、やがてぽつりと呟いた。

「たとえば、わたしだけの……ユーリが見たい、とかそういうことです?」

一瞬、心臓が止まったような感覚があった。
ああ、何を言い出すんだか―――このお姫様は。
そう理性が判断しても、胸に残る焦燥は止められなかった。
たとえばここが店の中ではなかったら。もっと言えば、どこか部屋の中だったら。
どうなっていたか、ユーリの知る限りではなかった。
ユーリは出来るだけ涼しい顔を装って、エステルに応える。

「ああ、たとえばで言えばそうなんじゃねぇの」


けれど。
どこまでも彼女は天然で、純粋で、何気なしに殺し文句を呟くものだから。



71. この「好き」はお前にやるよ
(あんたが気付いた時に)
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