E s c a p e
朝。鳥の声で目が覚めて、窓から差し込む光で目が覚める。
なんて幸せなのだろう。そんな発想はまた脳天気だなんて言われかねないけれど。
おはよう、と挨拶を交わすだけで一日はこんなにも容易く始まってくれる。
さあ、はじめよう、私達の逃避の話。
「"俺なら、あいつを見つけ出せる"なんて、嘘じゃないか」
きみは、未だに見つからないままだ。僕より能力も高いし、そりゃあきみも今目の前で苦虫を噛み潰したような顔をしているあいつの方が好きだったに違いない。季節は君がいなくなった夏から、巡り巡ってもう一度、夏になろうとしていた。日に照りつけられたアスファルトの熱さが僕らを責める。
通り過ぎる人々も、高くそびえ立つ硬質なビルも僕らに興味なんて示さない。
僕一人いなくなったところで、変わりはしない。
世界は。
「なあ、ひとつだけ言えることがあるんだ」
君を救えなかった魔法に興味はない
(お前のものより、大事なものを賭けて、きみを)
地味で大人しくて、引っ込み思案だった私が、まさかこんなことをしているなんて昔の知り合いは思いもしないだろう。それが見つからないための盲点。
今まで、誰にも見つからないように生きてきた。
弾け飛ぶ血の匂いも、こびりついた硝煙の香りも、もう慣れた。
―――あの日。私の家には誰も来てくれなかった。どんなに叫び声を上げても近所の人は来てくれなかったし、幼馴染みも留守だった。その結果私は誘拐されて、何も飲まず食わずで一週間。
やっとのことで逃げ出した―――見張りの拳銃とナイフを奪って。
今は"ここ"に身を寄せている。かぎつけられたら逃げるだろうが、それまでは。
あの組織から逃げるためだったら、私はなんでもする。人だって何度も裏切ってきたし、無駄な殺生は好まないけれどそれなりに人も傷つけてきた。
この人たちは私の素性をわかっている。その上で何でここに置いてくれるのかはよくわからないけれど、利用できるものは何でも利用しよう――そのはずだったのに。
「イオ」
「今日の夕飯、何にする?」
「アイ…そうだね…」
―――けれど、居心地の良さには、少し参っているんだ。
バッドガール・ライフル
(利用では片付けられない何か)
あんたは素直すぎる。
「ねえねえ、今日は星が綺麗だから見にいこう!」
そう言って、夕食後の一服の最中に話しかけてきたのはアイだった。
「…イオもあいつも付き合ってくれないんだよ」
「……」
「お願い!」
と言っておきながら俺が断れないのを知っているのかはわからないが、まず俺は断り方を知らなかった。
「…わかった」
「ありがとう!」
そうやって目を輝かせる彼女に俺は弱い。
あまり他人のことに干渉せず感情の起伏がない自分の唯一の弱点がこの人だ。ここで出会った、一つ年上の彼女は、自分とは違って無邪気で素直だ。策士なのかなんなのか、とにかく俺は目の前の人には弱い。
否―――確かに、彼女に命を救われたのは、ときどき忘れそうになるが事実なのだ。あの日、出られそうにもない鉄格子をいとも簡単にくぐり抜けてきた。どんな魔法を使ったのかは知らない。普段のアイは、どうしようもなく温厚で日だまりみたいな人間だ。少し釈然としない。
こうして、ときどき子供のようなことを言ってくる。
確かに、窓から見える星々は月が欠けているからかとても数が多い。都会の喧噪とはほど遠いこの辺は、静かでとても居心地が良いのは事実だった。
「ほらーフレイ、出発するよ?」
「ああ」
白いコートを着込んだ彼女はまるで天使のようだ、と思う。
別に恋でもない、と思う。ただ嘘も偽りもないこの瞬間が好き。それだけ。
廊下の向こうから大きく手を振っている。そんなに振らなくても見える、そう言ってやりたい気もするが少し面倒だ。
星屑レモネード
(それはきらきら光って、甘酸っぱい、)
変人ばかりが揃う"ここ"で見かけ上は一番普通だと思われるのが俺だ。
反吐が出るほど脳天気でもないし、何考えてるかわからないわけでもないし、ときどきどっかにいなくわるわけでもないし―――ましてや、あんなに口うるさいわけでもない。
一般的であると思うし、普遍的であると思う。
―――そんな俺――リヒトが持ってる唯一の特異点は、殺されることが決まっている、ことだ。
タイムリミットは、あと二年。
その前に組織を倒すか、逃げ切るしか生き残る方法はない。
まだ二年あるが、半年も前になれば連中は本気になって探し出すだろう。簡単にここの場所がわかってしまう。
それならば。せめて思ったことは言おうと決心している。いつも何かに怯えている―――あいつに。
単なる自己満足だ。けれど後悔だけはしたくなかったし、この年でなんでもないことのように死を予告されると、頭がおかしくなるか、開き直るかどちらかではないだろうか。
ジョーシキってやつに
真正面から喧嘩売るのさ
(年頃なんて、俺には言ってられないんだ)
いつだって虚勢を張る私は静寂に怯えている。
人より口数が多くなってのも、大好きな人ほど憎まれ口をたたくのも、ただ、誰かに言葉をかけてほしくて、しょうがなくて。ひとりぼっちになるのが怖くて。年齢よりも幼いところも、大人びたところもあるのは確かだ。どこまでも天の邪鬼な自分に苛立って、それでも周りのひとたちは私の近くにいてくれた。ふんわりと、太陽に抱かれたかのように居心地がよかった。
頼りない少女であるだけの私を、物理的に守ってくれているわけではないけれど、深い谷の中から連れ出してくれた。
「……そう」
大好きな人だって出来た。大好きだって、言うことができればいいのに。けれどそれは自分勝手で独りよがりで、夢のような絵空事だ。両想いになるなんてあるわけない。と言って、世の中自分の思い通りになんてなる訳がないので別に残念だとは思わなかった。ひとりぼっちにならなければ、それでよかった。
でも。夜のこの瞬間だけは一人になってしまう。あれはいい夢に過ぎないのだ。
世間の言葉から言うと、トラウマ、なのだろう。
細く開いた窓から月明かりと冷たい風がこの身を刺している。
漠然とした不安と、閉じた目蓋に闇が広がっているのを感じると、少しずつあの夢へと入っていった。睡魔には、抗えない。
ブラッディ・ナイトメア、
お届けにあがりました。
(叫びだしたくなる衝動を、誰か)
「……おい」
「おい、起きろって!」
どこまでも、くろいゆめをみていた。
重い目蓋を開けると、どこまでも真剣な瞳が私を覗き込んでいた。ぼんやりとした視界でもわかる、翡翠色の瞳。
―――お母さんも、お父さんもいなくなって、私はこの世でひとりきりになった。
"大好きだったお母さん、お父さん"――そんなことが言えれば良かった。そうしたら思い出の中の彼女らと共に私は胸を張って生きていけたのに。お父さんも、お母さんも、どちらかといえば私には無関心だった。もちろん、寂しかった。けれどまだその孤独感を彼らが存在するという事実で補っていたような気がする。
全身が熱に浮かされたように熱い。せっかく着替えた寝間着も、変えてもらったシーツもじっとりと湿っている。ああ、気付かれてしまった。いつもなら、なんとか朝までバレずに普通に過ごせていたはずなのに。
みんなは優しすぎる。だから怖い。離れていってしまうのが。
―――ここに連れてこられた私は目の前の彼に恋をした。
「……起きてたよ」
「嘘だろ。この後に及んでまだ強がるのかよ」
「強がったら悪いの?」
「ああ悪いさ。……心配かけさせるな」
ロンリーハートは陥落した
(どうしてそう)
「…ごめんなさい」
「お前にしては随分殊勝だな」
「ごめん」
ごめん、と繰り返したら目尻から熱いものがこみ上げてきて、彼の長いシャツの裾を引っ張った。
―――心配かけさせるな、と彼を言った。そうしたら、今私がしていることは、よくないことなんじゃないか。
そっと指の力を抜く。それからもう片方の手で涙を拭った。
夜の闇は相変わらず谷底から私を覗き込んでいる。
「そういう意味じゃねえよ」
「じゃあどういう意味……って」
「こういう意味だよ」
さっき距離を置いた手のひらをこちらへ引き戻すように掴まれる。
彼がそれを自分側へ引くと私はすっぽり彼の胸の中へ収まった。高鳴る鼓動の音が二つ分であることに、安心感に少しの緊張が混ざる。
誰かの腕の中が、こんなにも温かいことなんて、今まで私は知らなかった。自分の腕にも力を込めると、怖いものは何もない――そんな気分になってくる。
「私、大嫌い」
「何が」
「リヒトは何でもくれるから」
「―――俺は好きだけどな。エルのこと」
「……どうせ嘘よ」
一瞬、動揺した私が馬鹿みたいだ。
「どうだかね」
何でもくれるあなたが嫌い
(尚更、好きって言えなくなる)
そうして、そうして、長い夜は更けていく。
使用素材:
NEO HIMEISM