デジャヴ
カラハ・シャールの昼は出会いと別れの街。けれど夜はまるで鳥たちが歌うのをやめたように静かだ。トリグラフのように無機質な機械音ではなく、風車が動く音も心なしか命が吹き込まれたような音がする。
ローエンがガンダラ要塞で張り切りすぎて前線に出過ぎたせいか、持病の腰痛が悪化した(半分は疲れ顔の皆を気遣ってだろうが)。まあそんなわけで、近くのカラハ・シャールで休むことにしたのが夕日が沈む前だっただろうか。
決戦前、偶然にも近くに繋がっていたリーゼ・マクシアへの道を通って帰った先には、やり残したことが山ほど待っていた。会うべき人も、解決すべき問題も。
ニ・アケリアにはプレザの遺した手紙、シャン・ドゥの母のいなくなった部屋。
正直、堪える出来事が多すぎた。
でもそれは、彼女にとっても同じことだったようだ。
レイアが、泣いている。
デジャヴ
「レイア」
少し距離を取り、伏せている彼女の顔を見ないように――自分の過ちを見たくなかったかもしれないが――背中合わせの位置に手すりに寄りかかる。
「…アルヴィン?」
そう言って、彼女はごしごしと拭いきれない涙を拭い、伏せた顔を上げる。けれど、その後は、持ち前の太陽のような笑顔を見せるのではなく、ただ淡く、消え入りそうな悲しげな顔をしているだけ。こんな表情を浮かべるのは、誰だったか。
俺は、今まで何をしてきたのか。…なんて柄じゃないが、過去を振り返るとそこにはただ、古くセピア色になったエレンピオスでの思い出と、殺風景な記憶が広がっている。
それを掘り起こせば―――。それは、彼女の消え入りそうな声色で遮られる。
「何か、用?」
「そこに仲間がいたから声をかけたって理由にならないか?」
「……そうだね」
「仲間、じゃないな、レイアにとっては」
弱っている彼女に追い打ちをかけるのは少し躊躇ったが、このままでは何も話してはくれない。まだ残っているわだかまりを消せはしない。彼女の大きな瞳が一瞬見開かれ、そして何かを諦めたように目を細めて俯いた。
「…まだそんなこと…」
「じゃあ、なんで泣いてんの?」
そうじゃない。何となく気付いていた。彼女の身に起こった出来事、変わっていく人間関係、諸々の総和だろう。その中には俺のことも含まれているだろうが、全部と考えるのはあまりにも買いかぶりすぎだ。彼女の短い髪とヘッドドレスが風にふわりと揺れる。今日はいつも似合っているヘッドドレスが重そうだな、とぼんやり考える。
「…ジュードのことか?」
「なきにしもあらず、かな。…なんだ、やっぱアルヴィンは気付いてたんだ」
「まあな、ローエンも知ってるだろ、きっと」
目の前の彼女は、目の前の他人のために本心をはっきり言わない。レイアは、やっと表情を変え腹を抱えてくすくすと小さく笑う。
「損な性分ですねって言われちゃった」
「それを言うならあの爺さんもな」
「そうだね」
…少し話題を別の方向へやった後、一気に引き戻す方がいい。頭でそんなことを考える俺は、今まで当たり前すぎて意識さえもしていなかったが、もちろん俗に言う"腹黒い"の類の人間なのだ。もう諦めているけれど、こうやって話している純真な彼女を少し羨ましく思うことはないこともない。
「…我慢しすぎだ、レイアは」
「我慢してるつもりなんてない…ちょっと、悪い夢を見ただけだよ」
「どんな夢かは聞かないでくれるといいな…」
彼女がそう言うと同時にぽたりと地面に涙の跡ができた。
彼女が俺に初めてした要求が、こんなにも見えづらく、重いものだったことにある種の哀愁を感じた。―――いや、初めてではない。そういえば、あのときもそうだった。
夢の内容は想像できなくもないが、想像するのはそれさえも彼女の要求に反してしまう気がして、できるわけがなかった。裏で秘密を知ろうとるのはもう、やめた。
ホルスターの中の銃をそっと触ってみた。こいつは人を助けたり、苦しめたり、でも弾丸だけは真っ直ぐ飛ぶどっかの誰かさんみたいだなと思いながら。
これが昔の自分だったら表情を変えずに、残酷なことを考えていたはずだ。全く、どこまであいつらは俺を変えたのか。
吸い寄られるように彼女の顔を見る。翡翠色の瞳の奥にはどんなに底の知れない昇華されない想いが広がっていることだろうか。
そして思い出す。彼女の行いを。
「ごめんな」
「何度も裏切ったのに、母親のこと、気遣ってくれただろ」
俺がやりきれない想いを少しでも消せるとしたら、そうしたい。もう少し、素直な気持ちを伝えられるように。今更変わるのは無理と大合唱している心の中に、こう念じる。――レイアのように、自分のために言わない本心より、他人のために言える本心になれるように、と。
「…そっか、ちょうどここだったね」
「ああ」
「…時々ね、逆の立場だったらどうだったのかって考えるの」
「船に乗ってたら突然流されて、気付いたらそこは異世界で。私だって、帰りたいと思う…まあ、やり方は違うかもしれないけど」
「おたくはそういうことできる柄じゃないもんな」
「ううん。20年も帰るために必死になれるかなって」
口調が変わった。正確に言えば、元に戻ったの方が正しい。意志の強い目に、他人を気遣う視線が込められている。
その言葉に嘘偽りがないのが逆に俺を疑わせる。彼女を気遣ってこちらに来てみたのに、いつのまにか気遣われているのは俺の方だ。その違いに思わず吹き出してしまった。この度を超えた優しさは、ある意味超人かもしれない。
「何がおかしいのよ?」
「いや…レイアってミラ様とはまた違う凄さがあるなと思って」
「私はミラみたいになりたかったはずなんだけどな…」
「それは無理だろ、ミラ様はミラ様だし、レイアはレイアだ」
…ティポの悪癖が影響されたかな。
良い意味も含めているし、悪い意味も――含まれていないわけではない。言い放つと、彼女は言いたげなのを堪えて首を振った。それからまた先ほどの目で俺をじっと見据えた。それは俺にとっては少し痛くもあり、救いの手を差し伸べられたようでもあった。そんな様子に思わず仰け反るといつのまにか寄りかかっていた手すりから背筋を伸ばして立っていたことに気がつく。
「…別にもうアルヴィンが謝ることじゃないよ」
「一緒に戦う仲間なんだからさ!」
どうして――俺が頭で考えてやったことを、彼女は無意識にやってのけるのだろう。
レイアはくるりと一回転してびしっと手を差し出す。服とヘットドレスが彼女自身の力によって手の動きとは正反対にひらりと舞った。こうでなくては、と確信した自分がいた。
あの、ハ・ミルのときのようにはさせたくない。
今のレイアはレイアらしいが、今の俺は俺らしくない気がする。もう出会ったときからそうだが、彼女がいるとどうも調子が狂う。それを苛立ちに感じていたこともあったが、何故だろう、今は自分が浄化されていくような、そんな気持ちにさせる。
「ははは、参ったよ、おたくには」
少しの間、この手をとって良いものかと悩んだ結果、強制的に握手をさせられてしまう。俺だってこれでもトラウマとか、見えない傷とか、いろいろ考えたのに。
レイアはお得意の軽いウインクをした。年上にその態度かよと突っ込む気は―――もう、起きなかった。
「あいにくといつまでも泣いていられる性分じゃないから!」
無理をさせているのではないか、そう心配させるほどの明るい声色。けれど結局、その仕草に笑うしかなかった。
「そうだな、その方がレイアらしいよ。……さて、冷えてきたし宿に戻るか」
「うん!」
宿に戻る途中、レイアは最後に小さく俺に言った。
「…でもね、気遣ってくれて嬉しかったよ」
「ありがとう」
これを周りの人全員に天然でやるのが気に入らない。どーいたしまして、とそっけなく答える。なんとなく、照れくさい気持ちになったのを抑えながら、ふと考える。
―――こんな風に、俺を許してくれる人がいたはずだ。
最後の手を取れなかった、好きだった彼女。ときどき正気に返って汚れ仕事をしている俺がわかっても、何も言わなかった母。そして、誰も信用出来るはずがなかった俺に今、この瞬間感謝を向ける彼女がいるなら。胸の奥が何かに解放された気分に捕らわれながら、満天の夜空を見上げて。
ありがとう、と小さく虚空に呟いた。
***
アルヴィンとレイアには、決戦前のあれがあってもやっぱり一筋縄ではいかないわだかまりみたいなものがあって。
昇華されるべき問題がたくさんあって。
そういうものが解決できるお話が書けるといいなと思って書いた作品です。