Monster
ボルテア森道に強力な魔物が出たとの連絡が入った。
もっぱらこの手の話は町の人の噂でレイアの耳に入る。以前はこれをレイアの母のソニアがうるさいからとの理由で倒しに行っていたのだが、娘のレイアもまたそれと遜色なく強いらしいとの話がどこかから洩れて――こうして"代替わり"することとなった。
レイアが住むル・ロンドの町は周囲がどこまでも続く海であり、その類の話となると外部から救援を呼ぶことも難しいし、数になってかかるということもできない。そうとなればロランド一家のような凄腕が現れるのは必然といえば必然だ。
いつもその噂を報告に来る宿の従業員と一緒に、レイアはル・ロンドの町を遡る。
いつもはすっきりと晴れているル・ロンドの空は珍しく曇っていた。
「はあ〜今日はどんなのが出たのかな?」
「数は一体らしいんですけど、そのサイズがとんでもなく大きいらしくって…先に行く人々の邪魔をしてるみたいです」
「…そんなのどんなところから出て来たのかな?」
「さあ…最近はエレンピオスからのお客さんも多いですしね」
「そうだよね」
レイアは最も近い知り合いのエレンピオス人を思い浮かべる。
知り合いと言ったら語弊があるのかもしれない。けれど何がどうなって今彼とこの関係になったのか、レイアには今となっても実感が湧かないものだった。
あんなことが、あったのに。
レイアと―――アルヴィンとの間には、客観的に見ても修復不可能なほどの溝があった。人生とはどんな魔物が棲んでいるのかわからない。一種の罠に引っかかったのではないか。けれど。レイアは思う。しつこいくらいお節介な自分は、きっと他の世界でも彼を放ってなんておけなかったのだろう、と。
「あ、…あれ?」
「そうらしいですね」
そうしてル・ロンドの出入り口に差し掛かったころ、レイアは遙か向こうにぽつりと佇む影を見つけた。
「あれって、かなーり遠くにいるはずだよね?」
「そうみたいです」
参ったなあ、レイアはそう呟くと渋々ながら影の方へ歩きはじめた。
レイアの名前は彼女の頼まれたら断れない性格もあってか、母の存在と同じようにこの街中に響き渡っている。
でも。
怖い。自分がいくら考える前に倒す性格であっても、いつになっても慣れないものだ。腕試しという意味では楽しさ半分、怖さ半分といったところだ。
「じゃあ場所はわかったから下がってていいよ」
「一人で大丈夫ですか?誰か呼んできましょうか?」
「うん…でも何かあったときのために他の人にも伝えておいてくれるとうれしいかな」
「わかりました」
町の方へ戻っていく背中を見送ったあと、レイアはその魔物へとさらに進んでいく。
立ち止まってはいられない。全身に禍々しい武器を携えたいつか見たようなモンスターに単身、向かっていく。
モンスターがレイアに気付き斬りかかってきたのが合図だった。それを飛び上がってふわりと避けると使い慣れた棍での一突き。
「あれ…?」
確かに効いている。急所を突かれたモンスターは一瞬怯んだ。そのはずなのに、レイアの勘――第六感は警鐘を鳴らしていた。
地面に着地すると今度はその敵を巻き込みながら空高く舞い上がる。やはり敵は一瞬怯むが、すぐに体勢を立て直す。
「回復してる!?」
レイアはその懐に潜り込むが何かアイテムを持っている様子も無かった。
原因が解明できない以上回復する前に倒してしまう他はないのだが、リンク相手もいない以上短時間で大ダメージを負わせることは不可能だ。
いっそ一旦逃げて誰かを連れてくるというのも手だ。けれど、レイアは一瞬浮かんだ考えを切り捨てる。このまま自分が逃げたら。町まで追いかけてきてしまうかもしれない。攻撃を加えなかった町の人はまだしも、こうして攻撃を加えているレイアをそう易々と逃がしてはくれないだろう。直感で、そう考えた。
「どうしよう…」
じりじりと迫ってくる敵に飛び上がって町とは反対方向に背を向ける。そのうち限りある体力は尽きてしまうだろう。このままではジリ貧だ。かといって町の人たちに迷惑はかけたくなかった。レイアは必死に攻撃を叩き込む。何度叩いても、ついてもまるで不死身のように復活してくる魔物。それに反して、どんどん体力を失っていく自分の体。援護してくれる仲間もいないので治癒術の詠唱さえもできない。
そうした焦りもあってか、レイアは一瞬動きを止めてしまった。
「―――っつ!」
その瞬間。
レイアの足に鋭い一閃。魔物の刃の切っ先から真っ赤な血が滲む。
足の感覚がなく、力を入れることが出来なくなったレイアは地上に真っ逆さまに落下していく。
かろうじて地に足を着けると勢いに乗った敵はさらにとどめの一撃とばかりに斬りかかってくる。こんなことなら一人で大丈夫なんて言わなければ良かった。レイアは激痛に耐えながらなんとか棍で防ぐが、このままでは力負けしてしまいそうだ。
ぽつり。握りしめた手に一滴の水滴が落ちる。雨が、降ってきた。
一旦その一振りを払うと、最後の力を振り絞って回り込む。もう一度あの衝撃に備えるためだ。けれど。このままの状態が続けば、自分の命に関わることになるということはわかっていた。
でも、あの、一閃が―――――降っては来なかった。
レイアより一回り大きな影が斬撃を受け止めてくれている。
「アルヴィン…?」
「帰りが遅いと思ったら、案の定かよ」
「…ごめん」
「惚れ直したか?」
「そんなの、当たり前だよ」
「……そう改まって言われるとあれだな。んじゃお嬢さん。こっちでなんとか時間稼ぐから、その間に、その傷、治しとけよ」
「わかった」
そうしてリリアルオーブに意識を集中させて、リンクを開始する。
リンクの力は侮れない。危機に瀕した今だからこそ、レイアははっきりとそう思った。
アルヴィンは敵の目を引く大降りで派手な攻撃でレイアを支援していた。
治癒術の詠唱が終わると少しずつ傷は塞がっていく。―――ただ、相当傷が深いのか、傷は完全には塞がらず、皮膚の奥で痛みを発し続けている。
「治ったよ!」
「よしじゃあ一気に片付けるか!」
「了解!」
これまでの恨みとばかりに攻撃を一気に畳みかけられた敵はあっという間に崩れ落ちた。
「やったか?」
「そうみたいだね……っ」
レイアは傷の痛みに顔を歪める。まだ少量ながら出血もしているようだった。アルヴィンはそれに気付くと、今にも倒れそうなレイアの肩を支える。
「おいおい。―――運も悪いことに雨も降ってきたし、町まで戻るのは無理だな」
レイアはその言葉に辺りを見回すと、町は遠く、振り返るとフェルガナ鉱山の登山口が目の前だった。鉱山も弱いとはいえ魔物は出る。けれど自分の脚を見ると、歩けないだろうことは容易く想像はついた。レイアは情けない思いで一杯になりながら頷いて同意した。
「とりあえずあっちまで歩けるか?」
「大丈夫……痛っ」
「ほら」
「何?」
「おぶってやるから」
「いいよ。歩ける」
「ジュードじゃなくて不満だったか?」
「そんなこと言ってないよ」
「じゃあ大人しく背負われてろよ」
「…うん」
アルヴィンは意外なほど背中に重さがかからないのに驚いていた。ちゃんと食ってんのか、アルヴィンはそう問いかけるが、返事はない。レイアはアルヴィンの背中の温かさを感じて安心したのか、いつのまにか意識を空の彼方へ飛ばしてしまっていた。
「まあ、仕方ないよな」
おつかれさん、アルヴィンはとりあえず雨風のしのげる場所に腰を下ろすと同じように寝かせたレイアにそう声を掛けた。自分の来ていたコートを掛ける。レイアの頭を起こさないように撫でると、心なしか彼女は幸せそうな顔をしたような気がした。
アルヴィンがふとレイアの足を見ると、痛々しいほどの赤色が一筋、彼女の雪のように白い肌を伝わっていた。コートのポケットからいざというときのために持っていた応急処置キットを取り出す。せめて脚には痕が残らないように―――背中の傷の話はアルヴィンも触れないようにしていたが、どちらにしろ女性の体に痕が残るというのは決して良いものではない。
「これで良し、と」
するべきことが終わるとアルヴィンは早々に彼女の脚から目を逸らす。いい意味でではあるが、目に毒だと彼は思った。
薄暗い洞窟の中に、水滴が滴り落ちる音と外の五月蠅い雨音が反響していた。いつになったら止むだろうな、アルヴィンはそう考えつつ、鉱山の奥にしか魔物は出ないものの周囲の警戒は怠ってはいない。
そうしてしばらく経ったあと。
「ん……私、寝てた?」
「そりゃあまあぐっすりとな」
「そっか…ごめん。でも」
「でも?」
レイアは寂しそうな声色で続ける。
「助けになんて来てくれないと思ってたから」
「心外だな。―――でも、誰も来てくれなかったらどうするつもりだったんだ?」
「考えてなかった」
「は?」
「だって倒すのに夢中で…」
アルヴィンは苦笑する。レイアも自分も、戦闘となると思考より先に体が動いてしまう。ジュードやミラのようにあまり策を練らず、どちらかというと勘で戦うタイプだ。けれど自分とレイアは似ているようで、似ていない――アルヴィンはそう思う。レイアは人のためにその棍を振るう。けれど、自分はそうではない。今回のことのようになることは少ないし、たとえ町に危険が及ぶとしても全速力で逃げただろう。だからこそ、彼女を尊敬してもいるし、また放ってもおけないのだ。
「あ、あと傷。塞がってなかったみたいだから応急措置はしておいたぜ」
アルヴィンの視線の先のレイアの太腿から脛にかけての部分には、丁寧に包帯が巻いてあった。一応傭兵だったことはある。かくいうレイアも看護師ではあったのだが、こう施される側になっては立場がないな、とおぼろげに思う。
それから。レイアは思い出す。まだお礼を言っていなかった。
「助けてくれて……ありがとう。助かったよ」
「…どういたしまして。お礼のキスぐらい、してくれるんだよな?」
「あ、えっと…」
レイアは頬を真っ赤に染めると、アルヴィンを上目遣いで見た。考えてみれば、自分の命を救ってもらったのだ。当然のことながら要求は飲まなければならないのは頭でわかっていつつも、体がついていかない。
そんなレイアの様子を見るに見かねて、アルヴィンは言う。
「冗談だよ。そんなことしなくても……っておいレイ―――」
アルヴィンがレイアの名前を発する前に、それは何かによって遮られてしまう。
いつの間にか距離を詰めて至近にある彼女のどこか扇情的な表情。
水も滴るいい女、とはまさにこのことなのかと申し訳程度に残る大人の余裕でアルヴィンは思う。そんな彼の言葉を遮っているのは彼女の唇だった。
レイアは驚いて目を見開いたままのアルヴィンの顎を引き寄せて口づける。―――たったそれだけと言ってしまえばそれだけだ。
ほんの数秒。それなのに、二人には永遠とも思える長い時間に思えた。
「……これで、まんぞく?」
「まさか本当にするとは思ってなかったよ」
「だって、アルヴィンが……そういうから」
レイアはそう言って恥ずかしさのあまり俯いた。その言葉の可愛さったらないが、このままでは面白くない。アルヴィンは驚きで固まったままの考えをそう結論づけると、あるひとつの"理由"を思いつく。
「なあレイア」
「え…?」
「さっき助けにきてくれないと思ったって言ったよな?」
「それは……たしかに、言ったけど」
「俺がレイアを見捨てたりするわけないだろ?」
「それは―――」
「もう一度」
「え」
アルヴィンは思わず仰け反るレイアの手首を掴んで背中を支える。
意外なほど優しいそれにレイアは一瞬脱力してしまうが―――それも束の間。
「もう一度、してってかするから」
「えちょ…………んっ――――やっめ…―――」
「やめない」
アルヴィンは一度口づけた後、さらに深くレイアに口づける。
今度はレイアが驚きに目を見開く番だった。額に頬に首筋に―――唇に。レイアは激しいキスに翻弄され、ギリギリのところで流されそうになる意識を繋ぐと、思い切りアルヴィンを睨みつける。少し赤く潤んだ瞳をアルヴィンは面白そうに見つめて、それからまた唇を重ねる。
(そういうのを、煽ってるって言うんだぜ)
こっちの気が済むまで付き合ってもらわないとな。彼女に遠慮がないのも突然降ってきた雨のせいにして、彼女を愛撫し続ける。これでも普段は手加減しているつもりなのだ。
「レイア」
これまでも。レイアのグリーンの瞳の奥の純真さや真っ直ぐさを捉える度にアルヴィンは彼女の全てを壊してしまいたくなるような衝動に駆られることは時々、あった。―――その度にかろうじて踏みとどまってはきたのだが、今回ばかりは限界だった。懇願するような彼女の瞳。
「ふっ……ぁ…」
レイアが先に挑発したのだから、レイアが聞いたら理不尽なそれを理由にして、アルヴィンは一瞬呼吸をした彼女の唇の間に舌を滑り込ませる。一瞬レイアが目を開くと、アルヴィンの熱い視線と交差した。
不器用ながらこちらに応えようとする彼女が愛しく思えて、いっそう強く引き寄せる。癖になりそうだ、と思う。
わずかに引っ張られた服の裾が、彼女のささやかな抵抗なのか。背中を支えていた手で彼女のもう片方の手首を掴む。レイアの肩が、跳ねる。アルヴィンは低く笑った。その彼女の些細な反応でさえも、彼の背中にゾクリとくる本能を刺激するには十分だった。
「あ、るう゛ぃん…………くる、し」
肩で息をし始めたレイアを見て、アルヴィンはそっと唇を解放する。強張っていたレイアの体は力をなくし一気に崩れ落ちそうになる。
レイアは胸を押さえて大きく息を吐く。そうしてまたアルヴィンを睨みつけて言う。
「アルヴィンは、ずるいよ」
「何で」
「他の人とも、こんなことしてたわけだし。…なんか、私ばっかり、アルヴィンに振り回されて」
悔しいから、レイアはそう言って目を閉じると、もう一度唇を重ねた。
魔物はどっちなんだか、アルヴィンの言葉はまた、深い口付けにかき消される。
さすがに―――この状況で、場所で一戦を交えることはないと思うが。今だけは、この快感に酔いしれて、罠に填っていたいと二人は思うのだった。