Unconscious
おつかいなんて、引き受けなければ良かった。
私に後悔なんて似合わないなあ。過ぎたるは及ばざるがなんとかではないけれど、大量の荷物が入った袋が手に食い込んで痛くなり、一歩ごとに足が重くなっていくのが、今更ながらに、辛い。
普段なら、こんなことは苦にもならないはずだった。徐々に怪しくなる雲行きや―――今日の朝から続く頭痛さえなければ。
自分の運の無さに溜息をついた瞬間に、ぽたりと水滴が落ちる。すぐに出来た水溜まりの水面には波紋が次々と浮かび上がっていた。
みんなのところまではまだかなりの距離がある。すぐ傍の雨をしのげる屋根の中に入るのが今の時点での精一杯だった。
都合の悪いことは続くものだ。そこにいたのはジュードでもミラでもなく―――アルヴィンだった。
Unconscious
おつかいなんて、引き受けなければ良かった。
もう一度、そう思った。仕方が無かったのだ。ジュードはミラがいなくなってから最悪の状況は脱したものの、気がつけば物思いにふけっていて、周りの物音になど気付きもしない。ローエンは別件でどこかへ行ってしまった。まだ重いものが持てないエリーゼにはこの仕事は頼めない。ましてや――すぐ後ろにいる彼になど尚更頼めるはずもなく。
必然的に私がこの役目を果たすことになってしまった。弱音など吐いていられなかった。
激しさを増していく雨音に、速くなっていくリズムに苛立ちを覚えながら荷物を下ろす。手のひらは赤くなって水ぶくれが出来る寸前だった。
雨の日は嫌いだ。昔から格闘が大好きで動いていないと気が済まなかった私にとっては、家の中でじっとしていないといけない雨の日は好きではなかった。ジュードと鬼ごっこもできない。じめじめ、しとしとという表現もおおよそ私には似合わない気がして、雨の日はとにかく、居心地が悪い。
ちらりと後ろのアルヴィンを見る。バレないように、目を合わせないように。
目を合わせたときに感じる恐怖心、大人気ないけれど許せないという気持ち、あの時背中に食い込んだ弾丸の感触。彼を見ると、そうしたものが大洪水となって私の心に押し寄せる。彼の前では自分の気持ちを押し殺して曖昧にぼかしたはずの叫びだしたくなるほどの衝動が私に襲いかかる。
また、頭が痛くなってきた。思い出すと、いつもそうだ。消す方法はおろか、そのための消しゴムさえも見つからない。
痛い。自分の掌が、塞がったはずの傷が―――自分の思いの全てが。
気がついたら、私の意識は遠い闇の向こうへ消えてしまっていた。
***
うるさい雨音は、自分の心までも浸食していくようだった。
目の前の彼女――レイアは、俺を見て震えているようで、ちらりとこちらを見たあとは降り続く雨をただただ眺めているだけだった。傍らには、十五才の少女が持つには少し重いであろう量の荷物。普段勢いよく棍を振り回している彼女であっても、その腕はか細い。本意ではないはずだが頼まれたのだろう。頼まれて断れるタイプの人間ではない。
再び彼女の方へ意識を戻した―――。
ゆらり。
瞬間、轟く雷鳴と彼女がそこへ倒れ込むのは、同時だった。息を飲む。
放って置くという選択肢はどこにも見あたらなかった。選ぶ権利などなかった。一度彼女を死の危険へと追いやった俺には――なにより、心配、していないわけではない。頼りなく崩れ落ちる彼女へ手を伸ばし、地面に着く前にはかろうじて間に合った。触れる体温が、ほんのりと暖かいように感じた。
「おい、しっかりしろ!」
咄嗟に叫んだ声色は自分でも驚くくらいに切実さに満ちていた。冷たい雨が降り注ぐ中で、彼女の頭はだんだんと熱を帯びていくように思えた。意識も保っていられなかったようだ。どうして誰も気がつかなかった。それはまず俺に投げかけられるべき言葉のような気がしたが、俺が言った言葉で彼女が思いとどまるとは到底思えなかった。
かろうじて抱き留めた彼女から目を離し、冷たい雨が刃のように降り注ぐ空を見上げた。このまま、雨が降り止むのを待つか、それとも荷物と彼女を抱え全速力で宿へ戻るか。この激しく降り続く雨が止むというのは、少なくとも日が昇っているうちはありえない気がした。自動的に、後者を選ばざるを得なかった。スカーフはまだ新調したばかりだとか、コートが濡れるとか、まず自分は雨の中を走るような人間ではないだろうとか。色々と反対意見は見つかったが、背に腹は代えられなかった。
どこまでも白い景色の中に飛び出した。
戦っているとはいえ、女というのはこんなにも軽く、たやすく抱えられる。彼女も例外ではなかった。けれど人一人と荷物を抱えて走るのはいくら大剣を持つ俺でも体力はすぐに消耗していくものだった。ほどなく宿が見え、その中へ駆け込んだ。息が切れる。
「アルヴィン……とレイア!?」
雨を心配したのかジュードは入り口のところまで来ていた。すぐさま駆け寄り、ぐったりとしたレイアを診る。こいつは医者の卵だったなと今更に思い出す。そういえばレイアもジュードの実家の治療院で看護師をやっていたと聞いている。
自分の身も構わず他人に尽くす彼女は向いている職業なのか、どうなのか。倒れちゃ世話ないだろうと、苦しそうに息をしている彼女を見て思う。
「ひどい熱だ…どうして気がつかなかったんだろう。間違いなく風邪、だね」
「…レイアが気付かれないようにしたんだろ。とりあえず、部屋まで運ぶぞ」
俺に抱えられているこの状況は、いつもの彼女ならじたばたもがいても抜け出したいところだろうが、意識を失っているということで勘弁してもらいたい。できればこれ以上面倒な問題は起こしたくない。無理矢理飛び出したので衣服もかなり濡れた状態だが、これはエリーゼが誰かと協力してやってもらうしかない。実際、今も目のやり場に困るくらい、あちこちが透けていたり体のラインが出ていたりもする。
宿の様子が騒がしいとあって、エリーゼも自分の部屋から出て来ていた。自分の腕の中の人物を見て、その大きな瞳がさらに見開かれる。
「レイア!?大丈夫ですか…」
「お姫様、とりあえずこいつを着替えさせないとなんだが…できるか?」
「ティポと一緒ならできます!」
(変態さんには任せられないもんねー)
そう言ってティポ(エリーゼの心ではあるが)がジト目で俺を見やる。
ただ、ティポはぬいぐるみでも人の頭をかじることはあるので服を持ち上げるくらいの咀嚼力はあるのだろう。きっと。あの良く伸びる身体はくねくねと曲がるし、柔軟性にも優れているはずだ。
なにもできない自分がもどかしい―――なんてことはない。そんな馬鹿なことを考えつつ彼女をベッドに寝かせ、その場をエリーゼに託した。
「風邪、移らないようには気をつけろよ」
「うつしたなんて知ったらレイアが悲しい顔します」
「…そうだな」
そう言ってドアを開けて出ていった。ジュードはその間に薬でも用意をしているのだろう。
まだこちらにはやって来ていない。
背中を預けたドア越しにエリーゼとティポが悪戦苦闘している声が聞こえる。時折エリーゼの悲鳴が聞こえる。けれど、ドアを開ければ一生エリーゼとティポとレイアに恨まれそうなのは想像しなくても分かっている結果だ。――もとい、レイアにはすでに恨みとは別の感情を向けられているだろうが。彼女のこととなるとどうしても自嘲的になる辺り俺の中でも彼女の中でも整理がついていない証拠なのだろう。
風邪が移らないようにとは言ったが、そういえばと自分の状況を確認する。髪からは水滴が滴っており、コートはずぶ濡れ、それも合い余ってか寒さも少し感じる。
―――こりゃ俺もやばそうだな。
着替えた方がよさそうだと、自分の部屋へ戻ることにした。
***
「レイアの具合は?」
「だいぶ落ち着いてるよ。よく眠ってる」
「そっか」
まだ寝ているから、彼女の気分を変えずに済むだろう。
そっと音を立てないように部屋の扉を開けて、静まり返った部屋の中に入る。誰かさんたちにさんざん怪しまれているだけあってこういうのには慣れていた。
先ほどまでの苦しそうな息とは一変して、穏やかな寝息を立てて眠る彼女の姿があった。
橙色のランプがそれを暖かく、見守るように照らしている。良かった、無意識に極めて自然にそう言葉にした自分がいた。
あまり長く居座り続ければ目を覚ましてしまうだろう。そうなれば、また苦痛に歪む彼女の顔を見ることになってしまう――様子を確認できただけで十分だ。
彼女の寝顔を見つつ立ち上がり出て行こうとすると、その服の裾を引っ張られた。彼女の目蓋は開かれた様子はなく、ただ無意識に引き留めたかったようだ。
やれやれ、とゆっくりと服を一枚挟んで彼女の手を外す。覚醒していない頭で動かされた指はいとも簡単にするすると抜けた。金属の冷たいドアノブに手を掛けながら、ふと思う。
さっきの指は、自分への非難だろうか、問いただしたいことがあったのか、それともないとは思うが単に人恋しくて傍にいて欲しかっただけなのか、それとも―――。
「……困ったね、こりゃ」
その答えは、彼女の意識の深淵にしか知り得ない。
***
頭に鉛が乗っかったかのような、そんな重い感覚で目が覚めた。
そっか、私、あのまま…。
意識をなくしたのは覚えている。気がついたら布団の中、これは一体どういうことだろう。
――いや、そんなのはもうとっくに分かっている。…きっと、アルヴィンに運んでもらったのだろう。一度宿屋のロビーでせわしなく動く人々を見た記憶がある。あの状況で、天候で、だいぶ迷惑をかけたかもしれないがその人物しか思い当たる節がない。
――私も馬鹿だった。こんな風にしてジュードに心配をかけるくらいなら、最初から買い出しのことを相談しておくべきだった。後先考えずに突っ走る癖が、今回はすごく出てしまったような気がする。それでいつもジュードにフォローされるんだっけ。つまりこれはいつものパターンなんだよね。…全然、ダメだ。
様子に気がついた隣にいたジュードが私に言う。
「目、覚めた?」
「ジュード…ごめん、みんなに迷惑かけちゃった」
「気がつかなかった僕の方が悪いよ。仮にも…」
「そんなことないから!…えっと、この服は…」
いつのまにか普段着ではなく、白い寝間着に着替えさせられていた。自分の状態から言えば至極当然のことではあるのだが、確認のためジュードに問いかけてみた。
「エリーゼが頑張ってくれたんだよ。ま、間違っても僕やアルヴィンが」
「わかってるよ。アルヴィンがここまで運んでくれたの?」
「…そうだよ」
「そっか……本当、迷惑だったね……」
「…アルヴィンも、すごく心配してた」
―――心配、してくれるんだ。
いつか問いかけた言葉が脳裏に浮かぶ。
命を奪われそうになったり、助けられたり。…正確には、狙っていたのは無気力なジュードだった。結果的に私がああされたことでジュードが目を覚ましてくれたのはそのおかげなのだから、まだ―――。
「…そっか」
背中を抉られる感覚が次に彼に会ったときに消えていますように。
彼を心の底から許せる日が来ますように。
彼の瞳を、見続けられるようになりますように。
今はただ、切に願うだけの気持ちを、表現できるようになりますように―――。
祈った。