その秘密を解いて

「んなもんよく一生懸命やるよなあ」

ごくろうさん、そう後ろから労いの言葉をかけたのは、アルヴィン先生。掃除は誰かが一生懸命やらないといけないですから、と答えると、あながちその真面目さに眼鏡は似合ってるかもね、とそう彼は呟いた。なんとなく頭が良くなるかなあと思ってつけ始めた眼鏡は―――勿論ほぼ度はついていないので、伊達眼鏡である。
よし、あともう少し。
ちりとりで先に帰ってしまった当番が適当に散らかしたゴミを箒でかき集めていく。埃くさいと嫌われいつも適当に済まされる物理実験室の掃除。まあ当の本人もそれでいいと思っているらしいので、レイアはあえてこの件に関しては口を噤んだ。


「終わった!」
「おつかれさん。さて、と補習にしますか。…ったく、物理苦手なのによく取ったよな」

"アルヴィン"はそう言いつつレイアのテストの答案用紙をひらひらとちらつかせた。見えるだけでもバツ印がほとんどなそれの右上にはでかでかと鮮やかな赤で書かれた二十九点の文字。赤点というものは、ごく一部のどこかの優等生以外には等しく悩まされるものであるらしい。何点を取ったところで三十点に満たなければ慈悲などありはしない追試と補習の、立ちはだかるあと一点の壁。

――この点数が示す通り勉強は苦手だ。レイアは心底溜息をついて、疎ましそうな顔でアルヴィンを見た。目の前の彼とは違ってお節介焼きで人を小馬鹿にするわけでもないジュード。彼に手伝ってもらってやっとの思いで入った学校での現実は、やっぱり厳しかった。
私だって全ての教科がこうではない。数学(ジュードに教えてもらっている)やその他実技教科は平均以上な、はずなのに。レイアはやりきれない想いで答案を握りしめ、アルヴィンに食ってかかる。

「これでも頑張ってる方なんだよ?古典なんて……」
「あー知ってる知ってる。まさかのひ…」
「言うな!これ以上言うと…」
「言うと…どうするのかな?レイアちゃんは?先生にタメ口もいただけないぜ?」

あ、また、この目。
学校の中と外で、彼の性格や風貌が信じられないくらいに変化することを知っているのは、私一人かもしれない。本来の彼は、身だしなみや持ち物に異様なまでの丁寧さとこだわりを持つ繊細な青年。それを全否定するかのような穴の空いた靴下にボロボロの白衣。…時々、どちらが本当の彼なのかわからなくなる。

―――私とアルヴィンは学校で出会う前から知っている。

あれは、まだ雪がちらついて桜が寒々しい殻に籠もっていた頃の話―――。

***


「どどどどうしよ……」

クリスマスの日のこと。ジュードとの特訓も今日はさすがにお休みして、みんなでクリスマスパーティを開こうということになった。もちろん家は旅館の中だ。泊まっている人々も参加を募り少々規模は大きく盛大にやるらしい。


降り注ぐ雪の白と数々のイルミネーションに染まる町並みはどこもかしこも幸せそうなカップルで溢れていた。手袋をしているはずの掌は芯まで冷え切っていて、耐えきれず白い息を吹きかける。ここに体温を共有するための恋人がいれば、あるいは―――。一瞬よぎった甘い空想を、当然だというようにレイアはジュードと…なんて甘い考えと少しの羨ましさは捨て去る。

どこまでも純粋で真っ直ぐな彼の瞳に映っているのは、別の人物であることをレイアは偶然知った。数ヶ月前にジュードとともに行き倒れ(後から聞いた話によると父の作る料理の香りに誘われたらしい)のところを発見し、保護した。自分の名前と必要な最低限のことしか知らない彼女は、ミラと名乗った。何処か人間離れした雰囲気を持っていて、人間のことなど知らなかったかのような世間知らずな彼女を見かねた父と母は旅館に留まってもらうことにしたらしい。と、なると彼の出番。ジュードはいつものお節介であれやこれやと世話をしていた。

―――最初は、いつものことだと思っていた。彼の心の中が淡い恋慕の感情で支配されていることなど、頭の片隅で気付いていたかもしれないけれど、知らないふりをしていた。けれど、ミラはレイアの目から見ても到底追いつけないくらいに魅力的だった。確かな意志を持った瞳に自らを律した立ち振る舞いと、誰もが振り返るような妖艶な容姿。レイアはジュードを同じように他愛のない話をしたり、世界のことを教えたりするうちに彼女に憧れと尊敬の念を抱くようになった。けれど、彼女は見てしまった――――。

頬を真っ赤に染めたジュードと、何食わぬ顔をしているミラ。けれど二人の間には、二人にしか理解不可能な空気が漂っていた。俗に言う、二人だけの世界。

レイアは悟った。もう何年も胸の奥深くに秘めてきた想いを、今こそ封印するときだと。

だからこの想いは捨て去らなくてはならない。今日にしたって、旅館の方の準備はジュードとミラに任せて、一人きりで冬色に染まる街へ繰り出した。

ところ構わずいちゃつく恋人たちを尻目に、せっせと顔馴染みの店でクリスマスケーキの材料や、飾り付け用の道具などを買い込んでいたのだけど。

カップルを羨ましく思う気持ちは全年齢共通だ。

「ねーねーそこのお姉ちゃん。俺らとどこかに遊びにいかない?」

寂しい、と想う気持ちは誰でも抱くものだ。目の前の見るからに軽そうな彼らももっとコメディ風味なつまらないという気持ちなのかもしれないが。
けれど相手は年上だ。高校生だろうか。いかにもといったぎらぎらとした服装と、大柄な体格と凄んだ表情に、圧倒されてしまった。いつもは誰でも分け隔て無く話せるつもりが、ただでさえ弱っていたレイアを緊張させた。

「い、いや私は家でみんなが…待ってますから…」
「いいじゃんよ……どうせ一人なんだろ?」

何気なく呟かれた言葉がレイアの心に深く突き刺さる。ひとり。二人の間に入る数ミリの隙間などない。そんな残酷な啓示が脳裏に響く。
ふと気付くとずっしりと重い腕が肩に回されていた。他にも一人で過ごす仲間がいたらしく数人で囲まれてしまった。格好の暇つぶしになってしまったようだが、これは自分の一瞬の躊躇いと迷いが生んでしまった結果だ。けれど、このままこの人たちと一緒にいてはならない。本能的にそう思ったレイアはなんとか実力行使ではなく、言葉で抗戦を試みる。

「あのー、そろそろ帰らないと本当に鉄拳制裁喰らうので…」
「だれに?」
「お母さんに…」
「お母さん、だって。かわいー!」
「いや意外とマジなんですけど…」

どうしようと繰り返しても何も変わらないのは百も承知だ。けれどいくら武術を習っているからといって彼らに戦いを挑むのはあまりに無謀なことも、レイアにはわかっていた。そうこうしているうちにゆっくりと肩を押される。悪い妄想だと信じたいが暗がりに連れ込まれたら一環の終わりだ。叫ぼうか。一か八かでお腹に空気を入れた矢先。

「おうおう困るなあ、人の妹を勝手に連れて行こうとするなんつーのは。寂しいのはわかるけれど、おたく、他当たってくんない?」

目の前にどこかで見たような、けれどとりあえず初対面らしき男性が立っていた。バックにした茶髪に、それよりも少し薄い茶色の凝った意匠が施されたコート、呆気にとられている高校生よりさらに大柄な体格。物腰は軽そうだが、持っているものはぱっと見でも上質なものだとわかる、よくわからない人物。起こった出来事を理解できず呆然としていると、そっと白い手袋をした手が差し出される。ほれ、行くぞと言われるがまま腕を伸ばすと、そのまま自分とは比べものにならないほど強い力で引っ張られ走り出す。


「……っと、大丈夫だったか?」
「大丈夫も何も…どちら様です…か?」
「俺?フリーの何でも屋ってとこ?」

そう冗談めかしてからりと笑った彼はどこかの異世界であれば、本当にフリーの傭兵をやっていそうな容貌ではあった。どこかの誰かにぴったりな真面目とはおおよそ対局に位置するような存在。いくらそのような人物でも、窮地のところを助けてもらったのは事実で。レイアは彼の方の向き直ると、素直にお礼の言葉を口にした。

「…胡散臭いのはわかったよ…まあいいや。助けてくれてありがとね!えっと…」
「アルヴィンだ」
「アルヴィン君ね!私はレイア。ここで会ったのも何かの縁だし、助けてもらった恩もあるし、お礼させてよ!」
「レイア…ね…」
「アルヴィン君?」

アルヴィンはほんの一瞬真剣な表情になり、何かを考えこんでいるようにも、思い出しているようにも見えた。束の間、何事もなかったかのように頭をあげて、彼は言った。

「いや、なんでもない」

…ならいいけど、と意味ありげな沈黙が数秒続いた後。

「これ」
「クローバー…光葉か」
「うん。何故だか知らないけれど持ってたし…珍しいものだし」
「これを大の大人が…か」
「…いらなかったら別のお礼するけど…」
「いや、ありがたくもらっておくよ」

アルヴィンはそう何故か懐かしげにそう言いつつ手元のクローバーの栞をポケットの中に仕舞った。
悪い人かと聞かれたら悪い人ではない、のだろう。レイアは彼の仕草と表情の様子をくまなく観察する。いきなり初対面であるのにも関わらず、暗がりから助けてくれた。それも、失礼だが、軽薄そうで真っ先に見て見ぬふりをしていそうな男が。いくら自分が周り曰く単純であっても、何らかの理由があるのかもしれないと疑うところで、その辺は白黒はっきりつけたいところだ。
そんな風に思考を巡らせていると、アルヴィンはずいっと顔を近くに寄せてきた。

「なんだ?レイアちゃんはまだ言いたいことがあるのか?」
「なっ……いや、どこかでアルヴィン君とあったことあるのかなと思って」
「…それは口説き文句なのか?」

そう言ってニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるアルヴィンは先ほどの高校生のような子供っぽさがあった。相も変わらず顔を顔の距離は近くて、レイアの心臓の音は破れるかと思うほどに大きく波打っていた。ひんやりと冷たい風が吹き抜ける空気の温度と相反して、頬の温度はどんどん、上がっていく。

「違うよ!ただ、アルヴィンみたいな人がどうして私を助けてくれたのかな?」
「クリスマスに一人彷徨う子羊に、救いの手をってとこ?」
「………なにそのキザなセリフ…でもなんかやっぱりアルヴィンとは、はじめて会った気がしないな…」
「…そうだな。―――っと、そろそろ本当に帰らないと怒られるんじゃないのか?」
「だね!じゃあ―――」

ふっと、ようやく慣れ始めた顔の近さが、さらに距離が縮まってそのまま桜色になったレイアの頬に、アルヴィンの唇がそっと触れる。

「クリスマスプレゼントだよ」
「えっと…もうそんな年でもないんだけど!じゃあ、メリークリスマス!」

この出会いが今年の最大のクリスマスプレゼントだなと思いつつ、小さくなっていくアルヴィンの背中を見送りながらレイアは買った荷物を抱えてその場を後にした。

―――その後。お母さんにはすごい剣幕で怒られるわ、お父さんにはいつもの勢いで泣かれるわ、ジュードには全力で心配されるわ、で、大変だったけれど。

不思議と、ジュードとミラを見て微笑ましく思う自分がいたのだった。


***

「…どうした?手、止まってるぞ」
「あっうん、ちょっとね…」

長い回想から戻ってきたレイアを迎え入れたのは大問二までしか終わっていない補習のプリントと、思い出の中からかけ離れているようで、そのままの、アルヴィンだった。

化学式とかイオンとか、適当に実験で放り込めば反応するそれをわざわざ式にして答えなければならない。しかもテスト前にはそれを復習して(ジュードはしている)覚えなくてはならないという作業がレイアにとってはたまらなく苦痛だった。結局頭に入らなくて、あっという間に考査当日になり、アルヴィンに呼び出しを喰らう。入学してから3回目の補習だ。
でも、アルヴィンに会えるなら、それでいいかも、という気がしないでもなくて。

―――入学式の日。担任である彼の顔を見てハッとした。
見間違えるはずのないクリスマスのあの日に出会った人物、アルヴィンに他ならなかった。
と同時に彼の容貌のあまりの変わり様に驚いた。まさか、とは思ったけれど。
でも。
久しぶりだな、なんて彼が苦笑混じりに呟いたから。

「ほんっとに、アルヴィンってなんで学校ではそんな格好してんの」
「内緒だ」
「まあわかってたけど、そんなだから逆に想像つくよね」
「憶測でものを言うのは感心しないな」
「本当のことを言われたくないだけのくせに」
「ああそうだよ。文句あるか?」
「本当のこと言わないであげるかわりにこのプリントしなくてもいいなら」
「それはナシな」
「えー」

アルヴィンに会えるならいいかと諦めたレイアは、ようやくプリントに取り組み始めるのだった。



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気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、Secretとこのお話はある楽曲にイメージをもらったものです。