掌は忘れてくれない
※ED後のお話です。
「これで終わり、かな」
ジュードは一旦細かく文字が羅列している画面から目を離すと、凝り固まった肩を丁寧に解し、いつのまにか猫背になっていた背筋をぴんと伸ばして腕を突き上げて伸びをする。何度繰り返したであろう作業をし、集中力が切れたら休憩を入れ、また画面での作業へ戻っていく―――そのサイクルはきっと、大精霊を召喚できる日まで続くのだろう。その日まではただ、ひたすらに。そんなことを思う辺りやはり純粋な知的好奇心よりかは使命の方が大きいのかもしれない。
研究を始めてそろそろ一年になる。がむしゃらに走ってきたことも無きにしもあらずだが、それなりに成果は出て来たように思う。買って一年しか経っていない研究用の椅子がギシギシと音を立てるのは解せないけれど、それでも彼女に一歩一歩、着実に近づいている。
世界を繋いで、その両方の世界の人たちが幸せになれるように。
"彼女"と誓った、夢ではなく実現するためにある願い。在る場所は違っていても目指しているところは一緒だ。ジュードは、いつも気がつけばそれを頭の中に反芻させていた。
だから、僕は。
握りしめた拳を解いていく。ジュードはあの頃とはかけ離れた、ぺんだこだらけになりゴツゴツしてきた掌を見つめた。
ゆっくりと握りしめた手の冷たさに少し驚いた後―――突如、睡魔が襲ってきた。いくら昼夜の長さが一緒になっても毎日研究室にいるようでは昼夜の感覚はあまりない。気がついたら一日寝ていなかったことなんて日常茶飯事だ。
ジュードは頼りなく座る主を支える椅子からのろのろと立ち上がると、少し距離のあるソファーにふらふらした足で向かい、たどり着くとドサリと力なく崩れ落ちた。
きっと今の自分のこの様子を見て、みんなは形こそ違えど怒ったり、心配したりするのだろうなと苦笑しながら。
もちろん、"彼女"もその一人である―――。
***
「ジュード、ジュード!」
自分を必死に呼ぶ声に目を覚ます。自分はいつのまにか眠っていたようだった。若干目が疲れている気がする。けれど旅の毎日で目を酷使する機会など遠くを見るときしかなく、心あたりは特にない。とりあえず目の焦点を合わせてみた。
目の前には心配そうな顔をしたミラが自分の顔を覗き込んでいた。
「ミラ…いつのまにか寝ちゃってたんだね」
「本当は起こしたくなかったのだが、ここは寒いし、あいにく私は上着も持っていない」
「いや、起こしてくれてありがとう。ミラこそ風邪ひくよ」
すでにパチパチという音も聞こえなくなり暖炉の消えた宿屋のロビー。少し考え事をしているうちに転寝をしてしまっていたようだった。灯りも小さいものがついているだけで、薄暗くひんやりと寒い空間が広がっている。吐く息が白い。ミラが起こしてくれなければ、明日の朝には体調不良でもう一泊なんていうことになっていたかもしれない。
ミラはいつもの露出の高い格好だ。このままでは彼女が風邪を引いてしまう。
「ちょっと待ってて」
部屋には確か冬用の上着があったはずだ。深夜で他の仲間もとうの昔に眠りについているだろう。急ぎつつできるだけ音は立てないように努めて、自分の部屋のドアを開ける。上着は大きめに作られているし(少しの差だが)自分よりも背の高いミラでも入るだろう、そんなことを考えながら荷物の中を探る。あった。
それを今も寒く暗いところで自分を待っているだろう彼女の元へ向かう。しんと静まりかえって自分の足音だけが響くロビーに、ミラは一人佇んでいた。
腕に抱えた重みのある上着を彼女の背中へと被せる。ジュードはミラが拒否しないのを確認してから、彼女の隣に座った。
「寒いからね」
「ありがとう。……だがジュードも寒くないか?」
「僕はいいよ。ミラみたいに薄着じゃないし…って…」
「こうすれば二人とも寒くないだろう?」
ミラは自分に掛けられた上着の端を持ってジュードの肩へと掛けた。二人で一つの上着を羽織ることで熱を共有する。成る程、これは良い案かもしれないが―――。ジュードはちらりと隣のミラを見た。お互いの吐息がかかるほどに近い肩と肩との距離。嫌でも彼女の透き通った瞳を、暖かくなったのか桃色に色づいた頬も、鮮やかな唇も意識させられてしまう。思わず顔を背ける。
「嫌か?」
「い、嫌じゃないけど…まあ、暖かいかな」
ジュードはそう口にした。ミラはその返事を聞くと花の蕾がゆっくりと開いていくように淡く微笑んだ。心臓がフル稼働してくれたおかげで全身が温かくなっていくのが分かる。逆に鼓動の早さと大きさがいつもの三倍くらいになってしまっているような錯覚を覚えた。ジュードはそんな様子をミラに悟られないように、真っ直ぐに前を見つめて言う。
「ミラは、なんで寝ている僕に気がついたの?」
「ええと…それはだな、何となく寝てはいけない気がしたのだ」
「そうなんだ、変なの」
そう言うとどちらともなく吹き出した。寒い夜の暖かな談笑。例えるならそれは心にマッチで擦って起こした火がパッと灯ったような。
先ほどとは違い照れくささや恥ずかしさよりもむしろ安心感を抱く居心地の良さに身を任せながら、ずれた上着をもう一度掛け直す。ミラはそれを見ると自分の肩に掛かっている方を持ち上げて掛け直した。また、二人は笑い合った。
「こうしていると、あの時のことを思い出すな」
「あの時…そう、だね。あの時―――」
ミラと足を治すためにル・ロンドへ向かわなければいけなかったとき、やむを得ず街道で一夜を明かしたことがあった。そういえばあのときも、二人で座って、他愛の無い話をして―――。
「ミラは変わらないね」
「そうか?ジュードも根本的な部分は変わらないと思うぞ」
「どういうところが」
あの頃から変わったのは周りを取り巻く状況と、二人とも生きる存在として成長したということだけであろう。心の奥深くの根っこの部分はそうころころと変わるものではない。けれどミラの目から見てどう変わったのかは彼にとっては是非とも知りたいことであって。ジュードの問いに、ミラは少し顎に手を当てて考えこんだあと、なんとなく予想していた答えを口にした。
「お節介焼きで自分のことは考えないことだな」
「まあ、そうだよね…」
「そういうジュードは、私のどこが変わらないと言うのだ」
自分の使命を貫き通すためには自分のことは考えない。さっきミラに自分のことを言われた気がするが、それは気にしないことにする。
天然すぎるくらいに天然なところ。見ていてときどき危なっかしい。はらはらして、放っておけない。また照れくさくなってきたけれど、そういうところが可愛らしい。
なんだかんだでお人好しなところ。彼女は信念を貫いてはいたが、他者への慈愛や優しさを忘れていた訳ではない。本人曰く、人間は大好きということもあるのだろう。
悩みを抱え込みすぎるところ。自分に何度言いかけてやめたことがあっただろうか。何度もどかしいと思ったところがあっただろうか。彼女を阻む障害は多すぎて、苦悩することは幾度もあった。頼りない自分を責めたことも、もう数え切れないくらいで。
―――そんな、恋い焦がれる自分には無自覚なところ。
極め付けの一番言えない一言。変わらないところなんて、メモ書きにいくつ羅列したって留まることを知らない。
その全部が、自分の好きになった"ミラ"という人物であることに、ジュードは気がついていた。考えるのに結構な時間を使ってしまったが、こめかみに当てていた手を離してミラの手を握る。
「ミラだよ」
「えっと…」
「ミラはみんな変わらないよ」
「良く意味が分からないのだが、良い意味と受け取っていいのだな?」
「うん。もちろんだよ」
「そうか…良かった」
彼女の懐かしがるような声に、ジュードはもう気がついていた。これは現実の世界が作り上げたものではないことにも。
それでも確かなミラの手の感触と、耳に響く優しい声を聞くことができただけで十分だから―――これが、現実にできるようにと。実現させられるようにと。これは夢ではない。ジュードは改めて、ミラの瞳を見つめて、確認する。
ミラは合わせたジュードの手をぎゅっと、強く握り返す。
―――最後に別れてしまったあのときと同じように。
いつだって、繋いだ手と手は決意のために。絡めた指から、ミラの体温が伝わってくるのを感じるうちに、また眠くなってきた。
「……あまり、無理はするな」
「そうだね。ごめん、ミラに心配かけさせてばかりだ…昔なら、これが逆だったのにね」
「私にも心配くらいさせてほしい。その……私は、ジュードのことが好きなのだからな」
「うん。僕も、ミラのことが大好きだよ。ずっとずっと」
ジュードは一瞬驚きに目を見開いて、それから穏やかな声色で語りかけた。ミラは一気に顔を桜色に染めた。やっと、気付いてくれた。その事実が単純に嬉しかったこともあるが、一人よがりな想いで自分ばかりが赤面していることはないことでジュードは自分の想いを素直に言い切った。
「……こうきっぱり言うのもなんだか恥ずかしいな」
「…そうだね。じゃあ最後に…」
「ああ」
どちらともなく見つめ合い目を閉じる。合図はいらない。タイミングなんて、絡めた指と合わせた掌から否が応でも伝わってくる。唇と唇が重なるか重ならないかのうちに、閉じた黒い視界は白く染まっていく。
ささやかで儚い逢瀬は、口付けとともに炎で蝋燭が溶けきるように消えていった―――。
***
「こんなことはあるものなのだな」
ミラはそう呟いた。とある昼下がりのこと。久しぶりにやることがなかったので、昼寝でもしようかと思った。はじまりはそんな偶然だった。木陰でうとうとしていたら無理をしているジュードが見えた気がして、居ても立ってもいられず頭の中に意識を集中させる。ジュードらしくもない。掌をぎゅっと握りしめた。
そうしたら案の定だ。疲れ果てたジュードは、誰にも気付かれることなく倒れてしまった。穏やかな精霊界では感じることのない焦りという感情がこみ上げてきて、けれどぽかぽかとした陽気の中で眠気も限界で―――。
しかし、今になって言ってしまうとは。
今になってではない、離れてみて改めて思ったのだ。ミラはわずかに頬を紅潮させた。本当にジュードと手を繋ぐとできないことは何もない、そんな自信がミラの背中を押した。
―――きっとこの溶けるような夢を彼は忘れてしまっているだろうが。
掌は忘れてくれない
彼に、あのメッセージが届いているといいなと思いながら―――。
***
ジュミラ/ミラジュお題企画さま、「みちゆき」に提出させて頂きました作品です。
こちらのものを読みに来て下さった方用にバージョンを変えています(ほんの少しですが)
このような場ですが、改めてお礼を。本当にありがとうございました!ジュミラ大好きです!